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防護服姿で田植え 大熊町で試験作付け

2012-06-13 | 震災・原発 | By: sorakuma

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東京電力福島第1原発事故で全域が警戒区域に指定されている福島県大熊町は12日、放射性物質が農作物にどの程度取り込まれるか調べるため、コメや野菜の試験作付けを町内で始めた。場所は第1原発から南西に約6kmの住宅地の一角。4m四方の田と畑でコメと野菜をそれぞれ育て、収穫後に汚染濃度を調べる。表土を約5cmはいだ隣の田畑でも、同様に作付けをして除染の効果を確認する。12日午前、町職員らが防護服姿で水田に入って苗を手で植え、畑をくわなどで耕してニンジンやホウレンソウなどの種をまいた。
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防護服姿で田植え 大熊町で試験作付け
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2012/06/12/21ookuma/

本当に、涙が出そうな光景です…。
田植えや農業は、どうしても土埃や泥に触れてしまう、ということを、以前農家の婿のブログで読んだことがあります。
※もうブログは削除されてしまっている…と思います。
現状はリスクがあることを痛いほどわかっており、その上でどうしたら今までのように作付けが可能になるか、土地を、生活を元に戻すことができるか、という試行錯誤の状況なのだと思います。

この写真を見た人は、狂気の沙汰だ、と思うかもしれないし、それを出荷するのか、と思う方もいるかも知れませんが…
例えどんな状況にあろうと、この土地を守りたい人がそこに居るのだと思います。
しかし、それでもなお、それだけ土地を愛すればこそ、その土地を愛する彼らが土地を離れなければならないとも思います。

こんな場面で私がどうしても思い返すのは、ポツダム宣言を受け入れた天皇陛下の玉音放送です。
終戦の時代、もしこの言葉がなかったら、人々は戦いを諦めることができたでしょうか。

これを見て、私が思うのは、それでも終戦を諦めなかった日本が進む先の未来です。
その先にもおそらく未来は待っているのかもしれません。
ですが、それがこの先どれだけの人々の痛みや苦しみを産むことになるのか、私には想像することもできません。

この上で放射能汚染の拡散政策を続ける政府は、もはや日本の政府ではないのかもしれません。

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