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文科省は事故当時、高線量の場所をピンポイントで知っていた

2012-03-13 | 震災・原発 | By: sorakuma


研究者の辞表(7~12)|もうすぐ北風が強くなる より

政府関係者が「SPEEDIの精度が低いため公表しなかった」「一般にはとても 公表できない内容と判断」という言い訳をする一方、文科省はSPEEDIの予測からかなりピンポイントでの高線量地域の予測を行なっていました。
自らは危険性を認識し、数十キロというレベルで退避しつつも、その予測は住民の避難に使われることはなかったといいます。

文科省は、SPEEDIでいったい誰を守ろうとしたのでしょうか。少なくとも、それは国民の健康であるとは私には思えません。
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研究者の辞表(11)ピンポイントの指示

放射線衛生学の研究者、木村真三(44)らが福島に入った3月15日は、朝6時すぎに福島第一原発の2号機が破損、大量の放射性物質が放出されていた。
原発から5キロの場所には11日夜に国の現地対策本部ができていた。しかし14日夜には2号機の状態を懸念して撤退方針を決める。同日夜から撤退を始め、15日午後には原発から60キロ離れた福島県庁に退いた。
撤退組の一人、渡辺眞樹男(57)は福島県庁に移った後の15日夜に指示を受けた。「大変な事態になっている。測定に行ってくれ」
渡辺は文部科学省茨城原子力安全管理事務所から応援に来ていた。指示された場所は浪江町山間部の3カ所。ピンポイントだった。神奈川北原子力事務所の車 で現地に行き、午後9時ごろ放射線量を測る。数値を見て驚いた。3カ所とも高く、特に赤宇木(あこうぎ)は毎時330マイクロシーベルト
「いやもう、信じられなかった」と渡辺は振り返る。すぐ報告しようとしたが、携帯はつながらない。雨模様だったので衛星携帯も使えなかった。急いで川俣町の山木屋まで戻り、公衆電話から報告をした。戻る途中、点々と人家の明かりが見えた。まだ大勢の人が残っていた。
「とにかく住民の方々に被曝(ひばく)をしてほしくなかった。線量が高いと報告し、早くこの線量を発表してください、とお願いをしました」
実はこのとき渡辺は防護服を着ていなかった。県庁への撤退が慌ただしかったため、防護服の類は現地本部に放棄していたからだ。
「不思議と自分のことは考えていないですよね。こんな時だからこそやらなきゃいけない、と」
必死の思いで渡辺が伝えた数値は、しかし住民避難に使われはしなかった。文科省は16日にその数値を発表したが、地区名は伏せたまま。浪江町に知らせる こともなかった。町は危険を認識せず、一帯に残る住民に伝えることもなかった。なにより官房長官は「直ちに人体に影響を与えるような数値ではない」と会見 で述べていた。
それにしても、なぜ対策本部は高線量の場所をピンポイントで知っていたのか。渡辺は言う。「ポイントをどなたが決めて指示されたのか、私もいまだに分かりません」
元をたどると、指示は文科の本省だった。根拠に使われたのはSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)。同省は汚染の概要をつかんでいた。(依光隆明)
*2011.10.27朝日新聞朝刊
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文部科学省は、SPEEDIの実測結果を3月14日、外務省から米軍に報告しています。(動画 30:31〜)

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