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東日本大震災という転換点を考える

2011-04-09 | Interested, 震災・原発 | By: sorakuma

東日本大震災により、日本と日本国民に大きな転換点が訪れようとしています。

例えば政治や、テレビ・マスコミから発せられる情報について。テレビや新聞などのメディアの発言が信ずるに値するか。『原子力は安全である』『ただちに健康に影響はない』。いままでであれば、なるほどそうか、とほとんどの人が納得していたでしょう。しかし、今はそれに疑問をもつことを、人々は学ぼうとしています。

安全だと謳われてた原子力が、実は薄氷を踏むような環境に建設され、事故を起こそうものであれば、数十キロ、数百キロにわたり数十年先まで人が住むことができない環境をつくりだしてしまうという事実があります。チェルノブイリ事故から、世界の原子力政策はすでに大きく転換していました。にもかかわらず、日本は旧態依然として原子力を推進してきました。今回地震により、万が一にでも原発が事故を起こしてしまえばどうなってしまうか、見て見ぬふりをしてきた結末が今回の事態です。今回事故が起きたのが福島だった、というだけで、浜岡原発が事故を起こしていれば関東が壊滅、もんじゅが事故を起こせば、関西圏が壊滅してしまうという事実。そして、六ヶ所村が壊滅してしまえば、北海道と東日本、そしておそらく北半球全体に甚大な影響を与えてしまうという事実。これら施設は、極めて迅速かつ安全に解体していかなければなりません。地震大国である日本で、今後一切の事故を起こさずにこれらの施設を運用できる保証はありません。そして、事故が起こってしまえば、最早どうすることもできません。

今までマスメディアを盲信してきた人々であっても、本当に大丈夫なのか、彼らが正しいことを言っているのかを知ろうとするでしょう。その結果、例えばニュースや報道の中に含まれる偏向された何者かの意思や、利権に囚われた政治家や専門家の存在に気づく人が増えるはずです。

いつの頃からか、ニュースは、本当にくだらないことばかりを取り扱ってきました。やれ首相が漢字を間違えたとか、カップラーメンの値段を知らないとかで、国民のためを思う政治家を追い詰めてしまっていました。そして、今度は国民の生死に関わるような深刻な情報を開示せず、曖昧なままに隠蔽しようとしている。そういう体質が徐々に明らかになりつつあると考えます。

国民が愚かになり、政治やニュースに関心を払わず、自分たちの生活を享受するためだけに生きている。そう考えた時、とある都知事が発言していた、『震災は、日本人に対する警告である(天罰である)』という言葉も理解できます。震災が起こる前、日本人は無知で従順な羊のように生きていてはいけなかった。自分たちを守る国や法律、あるべき政策や必要な行政について、少しでも関心を払うべきだった。耳障りの良いマニュフェストが、本当に実現可能なのか、何を持って実現するのか、実現した結果どうなるのか。そういったことを考えるべきだったと言えます。

現在の政府が政権を取り、尖閣事件が発生し、国家にとって、国民にとって本当に大切なことが知らされていないという事実は、結局一部のネティズンのみにしか知られませんでした。しかし、今回の原発事故のように、日々の生活や健康、生命に直接影響をあたえるほどの事象であればどうでしょうか。今後、10数年かけて大勢の国民がガンで死ぬことになると思います。知らないこと、知らずにいることはもはや罪となる時代となりました。私たちは、自分を守るために、自分を守る国を支えるために正しい情報や政策、マスメディアや政治家を選ばなければならないのです。

今後、現在の政府がさらに悪い方向に向かった場合、情報の統制や言論統制、検閲が行われることになる可能性もあります。事実、放射性物質の拡散情報は日本では公開されず、他国の気象庁の情報から情報を得るしかありませんでしたが、外国機関の情報開示により、本来国民が知るべき情報を知ることができました。

おそらく、今後もこの傾向は続くでしょうが、正しい情報は何らかの形で公開されるはずです。2ちゃんねるをはじめ、各コミュニティで正しい情報をまとめ、自分たちを守ろうと周知する動き、いわゆる『祭』や『〜のまとめサイト』的なものは、大災害(天災であろうと人災であろうと)でも正しく機能しています。こういった情報をまとめられる人間、無私の情報を提供できる人間が日本には大勢存在し、日本や日本人を正しく守ろうとしているように思えます。

彼らが守ろうとしているのは小さい単位で言えば自分自身であり、健康であり、家族です。しかしそれは、地域であり、国であり、政治でもあります。

ローマの歴史からすると、衆愚政治に近いのかもしれませんが、今の無政府状態よりはるかに機能していると言えるでしょう。誰もが発言できる分、誰かの利益に偏らないメリットがあります。日本の政治、政策についていえば、もはや政治家が動かすものではなくなったのだと思います。ネット上に存在する誰かの声を集めた物、それがそのまま政策に影響する。インターネット上に存在する無数の声が、日本人の意思として日本を動かしていく。日本の政治は、そのようにあるべきなのだと思います。

今回の震災は、おそらくは明治維新に並ぶような日本の転換点となるでしょう。

当時そうであったように、日本が変わらなければならないと考える志士、現在で言えばネット上に存在する日本を憂う人々が、真に日本の為を思い、行動をはじめる第一歩になるように思えてなりません。

今回の震災(人災)で仮に日本は滅びたとしても、日本人と日本人の精神は、放射能に汚染されようとどんな貧困の底に落ちようと、失われるものではありません。

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