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『コクリコ坂から』を見てきました。

2011-07-24 | 生活 | By: sorakuma


宮崎吾朗監督の『コクリコ坂から』を見てきました。周囲の評判も割と上々で、傑作?としての評価を受けているようだったので、気になっていました。

公式の紹介だとこんな感じです。→公式サイト『港の見える丘』
作品のあらすじは、このサイトのレビューがわかりやすいです。→タナウツネット雑記ブログ

肝心の感想ですが、正直、うーん・・・という感じでした。

以下は映画の内容を含みます。

話は『カルチェラタン』の存続活動を主軸として進みます。主人公の松崎海は、風間俊と知り合い、いつしか恋に落ちていくわけなのですが・・・。主人公たちの心理描写より、カルチェラタンの存続活動のほうがよほど描写が深いのが最も残念なところです。

二人がどういう経緯で惹かれ合うことになったのか、正直読み取ることができませんでした。開幕の出会いのシーンでの強烈な印象については描写されていますが、まず俊に憧れの気持ちを抱いたのは妹の空でした。
海の真面目な性格はくどいほど描写されていますが、それだけ真っ直ぐで生真面目ないい子である海が、仮にも妹が憧れを持った人に対して、抵抗なく恋愛感情を抱くものでしょうか。
妹の空にしても、憧れていたはずの俊ではなく、いつの間にかに生徒会長に気持ちが移っていました。

次に思ったのは、海がいい子過ぎることです。
作中の挿入歌として使用される『上を向いて歩こう』にある通り、戦後の日本を背景として、光の見えない時代です。海は同世代の友人たちや奔放な妹に対して比較にならないほどの負担を背負っています。家族や下宿先の家事を行いつつ、カルチェラタンの活動についても、『何かできることはありませんか?』と自発的に活動します。そこに、どうにもリアリティを感じられないのです。
海も俊も最初から完成形で、高校生としての不安定さや葛藤、それによる成長は描かれません。最初から完璧なので、成長を描く余地がないのです。この主人公に共感できる高校生、子供がどれだけいるでしょうか?中年、老年層からみた、理想化された若者の視点ではないでしょうか?

俊についても同様です。
海との血縁の疑いがあったときに、俊に葛藤がないはずがないのです。『兄妹かもしれない。』→『友達に戻ろう。』という思考は、結論としてならその通りです。でも、その過程が描かれていないから、俊がそれだけ淡白に見えてしまうのです。
二人が本当に好き合っているならば、たとえ兄妹であっても、というような思いを描いてもよかったはず。

全体として、結論ありきで描かれた映画、という印象をうけました。海や俊が思い悩む様が描かれず、あらすじや出来事だけを淡々とえがいているような印象です。描こうとするテーマが壮大であるほど、出来事だけに追われ、一番大切にしたい心理面の描写や、そこにいたるまでの過程が省かれてしまっている、ある意味残念な仕上がりになっていました。テーマがゲド戦記より少ない分、前作ほどひどくはないのですが、前作の批評が活かされていないように感じました。

二人がいかに心から向きあっているかと比べれば、二人が兄妹かどうか、とか、カルチェラタンが存続したかどうか、など描く必要すらないものです。最近のジブリのメッセージで、しばらくファンタジーはやめる、というものがありましたが、要するに、ドキュメンタリーとして作品を作ることはできても、内面の成長や心理描写を描くことが決定的にできないということのあらわれであるように思います。

正直、駿監督引退後のジブリがどうなってしまうか、心配になるレベルでした。いちど、新海誠監督あたりに指導を仰いだほうがいいのでは・・・と思います。原作でどう描かれていたのか、後で読んでみようかと思います。

コクリコ坂から (角川文庫 み 37-101)

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