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荒木田岳氏:除染するほど、「住めない」と思う

2011-10-31 | 震災・原発 | By: sorakuma

福島で除染活動を行なっている『放射能除染・回復プロジェクト』にて、初めから除染活動を参加してきた荒木田岳氏(福島大学行政政策学類准教授)が「いま福島で起きていること」として記述した文章が紹介されていました。

明日に向けて(304)除染するほど、「住めない」と思う・・・放射能除染・回復プロジェクトに参加して(3)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/3ebae533afd6d0f6a86b9fd668af6153

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除染するほど、「住めない」と思う
荒木田岳(あらきだたける)

5月から福島大の同僚や京都精華大などの先生たち、市民の方々と一緒に福島県内の除染に取り組んでいます。最初は、通学路や子どものいる家から作業を始めました。

政府は「除染をすれば住めるようになる」と宣伝していますが、それは実際に除染活動をしたことのない人の、机上の空論です。現場で作業している実感からすれば、除染にかかわるたびに、「こんなところに人が住んでいていいのか」と思います。

原発から約60キロ離れた福島市内ですら、毎時150マイクロシーベルトなんて数字が出るところがあります。信じられますか?今日もその道を子どもたちが通学しているんです。

30マイクロくらいの場所はすぐ見つかります。先日除染した市内の民家では、毎時2マイクロシーベルトを超えていました。つまり、家の中にいるだけで年20ミリシーベルト近くを外部被曝する。これに内部被曝も加味したらどうなるのか。しかもそんな家でも、政府は特定避難推奨地点に指定していません。

そしてどんなに頑張って除染しても、放射線量はなかなか下がりません。
下がっても雨が降ったら元の木阿弥(もくあみ)です。一回除染して「はい、きれいになりました」という話じゃないんです。

今、私の妻子は県外に避難していますが、電話するたび子どもたちが「いつ福島に帰れるの」と聞きます。故郷ですからね。でも私には、今の福島市での子育てはとても考えられません。

そんな私が除染にかかわっているのは、「今しかできない作業」があり、それによって50年後、100年後に違いが出てくると思うからです。多くの人が去った後の福島や、原発なき後の地域政策を想像しつつ、淡々と作業をしています。歴史家としての自分がそうさせるのでしょう。

結局、福島の実情は、突き詰めると、元気の出ない、先の見えない話になってしまいます。でもそれが現実です。人々は絶望の中で、今この瞬間も被曝し続けながら暮らしています。こうして見殺しにされ、忘れられようとしているわが町・福島の姿を伝えたいのです。そうすれば、まだこの歴史を変えられるかもしれない。今ならまだ・・・・・。
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福島で暮らす人々の生活は、不自然なほど知られることはありません。
福島の実情を正確に伝えること、除染活動の難しさを伝えること。
事実を伝えることは、福島で暮らす人々の心を傷つけてしまうことにも繋がりかねません。

しかし、福島で、実際に除染活動を行なっているからこそ、見えてくるものがあるかと思います。
終わりのない除染、雨や山からの吹き下ろしで再び戻ってしまう汚染、未だ止まらない原発からの放射能の流出。

政府は、除染すれば住めると言います。
人々はそれを信じ、あるいは信じなくとも生活や故郷を守るため、放射能の不安を耐えつつもそこで暮らしています。
しかし、そんな彼らを待ち受けているのは、果てしなく過酷な現実です。

仮に、人々が住むことができないという現実があったとして、誰がそれを伝えることができるのでしょうか。
危険性を正しく判断し、人々に『これが現実だ』と伝えることができるのは、政府だけだったはずです。
しかし、その政府が現実を見ることなく、除染すれば生活できるとした場合、人々はどうなってしまうのでしょうか。

荒木田岳氏が伝えようとしているのは、本来政府が伝えなければならないはずの福島で暮らす人々の現実そのものに思えます。
除染の幻想ではなく、事実を、現実を伝えなければ、人々を守ることができない。
もしかしたら、そのためにこそ今の除染活動が必要なのかもしれません。

子どもたちの声として、Twitterでは福島で行われた学習発表会が話題になっていました。

福島の小学校から
http://togetter.com/li/207183

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転校前の小学校の学習発表会を見学中。
児童劇「なにしてあそぶ?」児童1「今年は外であんまり遊べなかったね」
児童2「そうだね。ほうしゃのうであそべなかったね。」
児童3「でもその分、教室でいっぱい遊べたね」
児童4「さあ、みんなで演奏しましょう」….

学年が変わって上級生。小学校の学習発表会らしく、一人一人がセリフを読み上げていく。

1「4月、僕たちは、5年生に進級した。」
2「でも、3学期途中で、授業が終わり、心は まだ4年生のまま」
3「突然転校していく たくさんの友達」
4「いつもと違う、新学期の始まり。」.
5「放射能の影響で、草や土がさわれない。花見もできない。」
6「そして、何と言っても、外であそべない退屈な毎日。」
7「5月、運動会が延期になった。」
8「毎日、帽子にマスク、暑い日はとても辛かった。」
9「6月、学校のプール開きが 中止になった。」
10「プールに入れない 夏。」.
11「7月、5年生の米作りも できなかった。」
12「楽しみにしていたのに。」
13「8月、他の県に避難した。」
14「福島では、どんなに暑くても、プールには入れなかった。」
15「9月、ガラスバッチをつける生活が始まった。」
16「僕たちは、なにも悪いことはしていないのに…。」.
17「福島に生まれて、自然豊かな福島に 育ってきただけなのに…。」
18「あの日から 時間が止まってしまった。」.

これらのセリフは、全部児童たちが考えて作ったらしい。田舎の小学校の体育館で発表するものではなく、国会か国連で発表するべきものだ、と僕は思った。.

39「震災前のように 外で 自由に遊びたい。」
40「芝生の上を かけまわりたい。」
41「土遊びもしたい。」
42「そして、おいしい福島の 野菜や魚を食べたい。」
43「このふるさとを 取り戻したい。」.
56「涙が出るほど辛い時も」
57「きっと 立ち直れる」全員「きっと 立ち直れる」
58「きっと 笑える時が来る。」
59「未来がある。」全員「未来がある。」.
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子どもたちが途方に暮れているとき、手を引いてやるのは私たち大人の役割です。
福島の子どもたちが未来を生きられる道を、示さねばなりません。

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