神立高原にスキー 後編
神立高原スキーの後編です。
とは言うものの、スキーの話ではありません。
震災後、上越新幹線を含むJR全線が止まって、帰宅難民となってしまった話になります。
が、なかなか繋がりません。
そんな中でも大きな余震が続いています。最初は目眩か立ちくらみかと思いましたが、間違いなく揺れています。
神立高原のスタッフの一人が、『今日はもう終わりだ!』と叫びながらまわっていました。
ほどなくして全館に放送が響き渡ります。
『・・・先ほどの地震の影響により、本日は16時で営業を終了とさせていただきます・・・』
ただ事ではない状況を感じ、急いで撤収をすることに。
荷物をまとめて、越後湯沢に向かうシャトルバスを待つためエントランスに向かうところで人だかりに気づきました。
全員、固唾を飲んでテレビを見守っています。
そこではじめて、東日本大震災という災害、そして津波の映像を目にしました。
あわせて、上越新幹線を含むJR、私鉄各線が運休となっていることも。
大変なことが起こってしまった、という思いとともに、急いで新幹線発着駅の越後湯沢に向かいます。
越後湯沢では、駅員に詰め寄る人々と、途方に暮れる人々と、呆然とテレビを眺める人々で溢れ返っていました。
この時はもう、今日中に帰宅することは無理だろうと考えていたので、次の3つのことを考える必要がありました。
ひとつは新幹線のチケットについて。ふたつめは泊まる場所について。みっつめは家族への連絡です。
新幹線のチケットは、通常であれば購入から2日間は有効なのですが、今回はびゅうの日帰りプランのチケットです。通常と異なり融通が利かない可能性があるので、駅員に念押ししておく必要がありました。
説明を求める人々の列に加わり、駅員に話を通しに行きます。今日中に新幹線が動くことはないことと、翌日新幹線が動いていれば、今回のチケットを明日使ってもかまわない旨確認をとります。これでだいたい30分ほど。
次に考えなければならないのは、泊まる場所でした。駅の西口を出てすぐ右手にある観光案内所に向かいます。ここにも行列ができていました。携帯の電池が切れてしまっていたので、公衆電話に並ぶかどうか迷いましたが、直近で泊まるところがない可能性を考えて、泊まる方を優先します。
30分くらいして、観光案内所の人が、並んでいる行列に大して素泊まりの宿を紹介していました。なんでも、近くに旅館はたくさんあるけれども、電話も不通になってしまって、足で回らないと確認がとれないとのことです。
観光案内所の人にも案内してもらい、駅から300メートルほどいったところにある民宿、おぐらやの一室を確保することができました。
四畳半の部屋にとりあえず荷物を置き、すぐに次の準備に取りかかります。
素泊まりなのでどこかで食事が必要でした。
駅にほど近いけんちん汁のお店に入りました。
そこで、やはり同じようにきたく困難となった二人の会社員の方と話しつつ、お互いの情報を交換しました。
とはいえ、持っている情報は殆どなかったので、テレビの情報と携帯の情報が頼り。しかし、ここで携帯のバッテリがー切れてしまいました。日帰りなので、充電用のアダプタはもってきていません。
食事が終わり、急いで最寄りのセブンイレブンへ。しかしバッテリはすべて売り切れ。
駅中のNEWDAYSにも向かいましたが、やはりバッテリはすべて売り切れ。
これは手遅れかなーと思ったのですが、もう一つ調べていないところがありました。新幹線改札内のNEWDAYSです。
新幹線が今日は運休となっていることは周知事項だったので、新幹線ホームは閑散としています。駅員に、ちょっと入るよ!と声をかけて、中へ。
駅中のNEWDAYSで、最後の一つが残っているのを見つけました。ここだけ盲点だったのかもしれません。
バッテリと、予備に単三電池2本を買って、セブンイレブンで軽く食料を調達し、宿に戻りました。
携帯をバッテリに接続します。
電話は全く繋がらない状態でした。ただ、ドコモの災害対策用のWebサイトから安否確認のメールがきていました。
安否確認サイトで家族の無事を確認し、自分の無事を伝えます。
無事であること、新潟にいること、電車が運休となって帰れないことを伝え、やっと一息つくことができました。
もう今日は早めに寝てしまおう・・・とお風呂(湯沢温泉でした)につかり、夜9時には就寝。そのまま朝を迎えるはずでした・・・が。
深夜4時。
再度の地震が襲いました。激しい縦揺れと、震動。同じように帰宅できなかった方々が何人もいましたが、3階に泊まっていた4人の方と声を掛け合い、お互いの無事を確認します。ニュースをつけたまま1時間ほど、断続的に襲ってくる余震に震えながら、文字通り眠れぬ夜を過ごしました。長野を震源とする地震、長野での震度は6、新潟は5を記録していました。古い建物だったこともあり、体感ではそれ以上に感じました。震度6、震度7はどれほどのものなのか、怖くて考えたくもありません。
そして迎えた朝、ようやく迎えた朝。素泊まりだったのですが、宿の人が大きなおにぎりを差し入れてくれました。また、もし今日も電車が動かないようであれば、また戻っておいでとありがたい言葉を頂き、宿をチェックアウトして、越後湯沢の駅に向かいました。
こうして、なんとか震災から1日目を過ごしたのでした。